こんにちは、筒井洋充です。 このシンプルで静かな場所へ、ようこそ。
初めてのニュースレターです。
突拍子もない仮説からスタートです。
17世紀のオランダ。ユダヤ共同体から破門され、アウトサイダーとして生きた哲学者スピノザが「神即自然(神と自然は一体である)」という世界観を打ち立てた。その背景に、当時唯一の貿易相手国だった日本から流入した「八百万の神」の感覚があったのではないか——。
証明はできません。普通のおじさんの都合のいい妄想です。でも私の中では、なぜか一本の美しい線でつながっています。
「八百万」は数字ではありません。川にも、山にも、虫にも、土にも——万物すべてに神が宿るという感覚ですね。
日本には「針供養」という習慣があります。使い古した針を柔らかい豆腐に刺し、その労をねぎらって供養する。針は生きていない。でも、価値あるものがその先端を通り過ぎた。そこに神が宿っていた、と感じる。箸供養も同じです。
「ウェルビーイング」「サステナビリティ」「マインドフルネス」。現代社会はこれらの横文字を、まるで新しいものであるかのように追いかけています。でもその根っこにある感覚は、私たちがずっと前から持っていたものではないでしょうか。
新しいから良いのではない。元々持っていた価値観を、現代の言葉でもう一度「そしゃくし直す」タイミングにきているのだと思います。
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少しだけ、私自身のことを。
1991年、航空会社に整備士として入社。その後、管理部門に移り、現場から事務に移って延べ23年間。45歳で脱サラして熊本県天草に移り、柑橘農家になりました。
気候変動については、農業を始めた頃からずっと感じていました。果樹という永年作物は、一度植えたら何十年もの付き合いです。産地そのものが変わっていくような変化が、少しずつ確実に進んでいる。その肌感覚が、ここ数年でだいぶはっきりしてきました。
そして今年、57歳。日本の真ん中の山里で何世代にもわたって守られてきたシルクの仕事に関わることになりました。今度は熊本からフルリモートで、事業戦略を考えたりシステムを組んだりする役割で。57歳の新入社員として、です。
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なぜシルクなのか。
AIが当たり前になった時代に、蚕が繭を紡ぐ速度だけは変えられません。何千年経っても変わらない。その「変えられなさ」が、針供養の豆腐と重なりました。
針を供養するとき、供養されているのは針の「プロセス」です。誰かの手を動かし、何かを縫い合わせてきた、その時間と働き。それは数値化できない。でも確かに存在した。
シルクの手仕事も同じです。蚕が桑の葉を食べ、繭を作る。そのプロセスは省けない。省いてはならない。
AIとは真逆のものを守るために、AIを使って会社を動かす。その逆説の中に、スピノザが「神即自然」と言いたかったことの現代版があるような気がしています。
読者ゼロからのスタートです。
月に一度だけ、熊本から。答えのない問いを、一緒に考えていただけたら幸いです。賑やかなプラットフォームとは距離を置いた、絵葉書のような場所で。
次号以降は内容を徐々に充実していきます。
ときどきポストを覗くように、お付き合いいただけたら幸いです。
また、お便りします。



